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2014/08/24

利島のウスイゴウ園地


作成中の利島のウォーキングマップ

 利島の宮塚山の東登山口の近くに、ウスイゴウ園地という公園があって、池と四阿が二つある。
 ここは、ジョギングの折り返し地点にしていて、片道3.5kmくらいだけど、標高差200mでけっこう厳しいコース。で、そこがどういう場所なのか気になっていたのだけど、説明の書いてあるボードの文字がかすれすぎていて読めないが、どうも気になる。しょうがないので、ボイスメモと写真をアップで見ながら書き起こしてみた。

ウスイゴウ園地

 この園地名は、「朝日のさす所」を表す慶称地名と言われるウスイゴウ山に在る事に由来します。
 園地は宮塚山の東の登山口にあり、道を隔てた南東に下上御方(おりのぼりおんかた)を祀る利島で最古の下上神社(おりのぼりじんじゃ)があります。社(やしろ)が御穴(みあな)と火事穴(かじあな)の二つの噴火口の中心を結ぶ線上にある事などから、下上御方は宮塚山の「島焼き」と呼ばれる噴火を神格化した、島生みの神と考えられます。また神社が島の東に位置する事と、冬至の夕方力尽きて下り、次の朝一年の始まりに新しい命として上がる太陽を彷彿とさせる「下上」という名前が、太陽神としての性格をも暗示しています。
 正月に行われる、宮塚山を西廻りに阿豆佐和気命本宮、大山小山神社、下上神社と巡拝する山巡り神事は、元来は太陽暦の年迎え、冬至の祭りの一部であったのでしょう。
 太古、人々は朝夕の太陽の位置を記すことで暦とし、日々の生活や農作業、祭り等に利用していました。
 大石山で発掘された縄文後期の遺跡「柄鏡形敷石住居址(えかがみがたしきいしじゅうきょあと)」は、その柱穴から推測すると、夏至の日没直前の夕日が入口から差しこむ時室内の日本の柱の影が重なります。この住居は、夏至を知るために建てられた「太陽の家」とも称せられる建物であったと思われます。

 この下上神社や縄文の住居跡等から古(いにしえ)の利島人と太陽との深いつながりが想い起され、眼前に広がる東の海から昇る「太陽・日の出」をウスイゴウ園地のテーマとしました。
 園地は、太陽の運動の象徴として、海側と山側の二棟の四阿(あずまや)を東西軸上に配置しています。山側、西の四阿の奥、石階段上の大きな浜石は太陽を象徴しています。真東に昇る朝日は、西の四阿の二つの飾り瓦の影を浜石に一つに重ねます。海側、東の四阿は太陽の家「柄鏡形敷石住居」をモデルとしています。この四阿には、海に向かい左から夏至柱、彼岸柱、冬至柱、部屋の中央には要柱という四本の柱があります。海側の、夏至柱は夏至の、彼岸柱は春分・秋分の、冬至柱は冬至の日の出の太陽が作る柱の影が、それぞれ要柱に重なる位置に立てられています。(要柱が中心よりわずかに南にずれて立つのは、春分の日と秋分の日には、真東より少し北から太陽が上がる為です)

 池は、島の神社神社地から多く出土する太陽を象徴すると言われる銅鏡を模し、その周囲に浜石を十二の方位に合わせて配置しました。春には、下上神社の神域近くにふさわしく、古来より農作業の時期等を判断する目安とされてきた桜が、園地を装います。

 利島には縄文以来の永い歴史があり、遺跡(いせき)、遺物(いぶつ)、祭祀址(さいしあと)など多くの遺産が眠っています。それを揺り起こし耳をすますと、古の利島人の声が聞こえてきます。このウスイゴウ園地の整備にあたり、古代からのメッセージを新たに添えて未来へと託します。

利島村

 なるほど、なかなか深い。


山側の四阿と太陽の浜石


海側の四阿


柱を中側から


柱を外側から


銅鏡を模した池


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