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2009/08/20

夏旅4日目

今日は、今治へ。
 途中、予讃線の浅海駅付近と、菊間に寄る。

 ここは、予讃線事件(1949年5月9日)というのが起きた場所。
 (四国の予讃線宇和島行下り列車が、浅海駅付近のカーブに差しかかったところ、列車が転覆。機関助士3名が死亡した。現場検証で、継ぎ目板3枚、ポルト8本、犬釘7本が抜き取られていて、レールも7cmずらされていた、証拠品のバール、スパナにローマ字の刻印があり、国鉄で使っていたものではないことなどが判った。また、枕木に米軍兵の軍足のあとがあったとも言われる。
 この殉職者の碑は、事件後15年経って建てられたもの。裏面には
 「故一色好高 津吉悦人 徳田昌三ノ三名ハ元松山機関区ニ機関助手トシテ奉職シ昭和二十四年五月九日準急第一列車ニ乗務中不幸ニシテ列車妨害ニ因り脱線転覆シ此ノ地ニ於イテ殉職茲ニ第十三回忌ヲ迎エルニ当ッテ松山機関区々友会ノ合議ニ依リ四国ノ運輸関係者多数ノ協賛ヲ得テ本碑ヲ建立スル昭和三十六年五月九日松山氣動車区長 日野貞應」
 と、ある。
 実は、この事件での殉職者のうちの一人が、義母の兄なのだ。また、蒸気機関の沸騰した湯を頭からかぶりながらも奇跡的に脱出した機関士が義父なのだった。

 戦後、まだGHQが日本を管理している頃、国鉄労組関連の米軍の仕業だとか共産党が関係しているだとか、いろいろな噂が飛びかったらしいけど、結局迷宮入りになってしまっているみたい。圧力がかかったという噂が大半を占めている。
 その直後に同様の手口で松川事件が起こったりして、国鉄労組の周辺は騒がしかったのだという。
 その頃17歳で、事件現場に駆けつけた義母は、今日も碑に手を合わせ、泣いていた。

 その後、義母の昔からの友人に会いに菊間町に。

 菊間町。瓦の町でかなり隆盛だったようだが、阪神大震災以降急激に瓦の需要が減ってしまい、今は激しく萎んだ町になっている。
 港の周辺には、瓦職人・工場の看板を掲げた家がたくさんあるのだけど、みんな開店休業か廃業のようだ。港にも漁港の勢いもなく、何とも寂しい感じ。今治市に吸収合併されたようだけど、未来はあるのか?


「お供馬の走り込み」で有名な菊間町の賀茂神社

 「お供馬の走り込み」は、上の写真奥の鳥居から小学生高学年がお稚児さんの格好をして操る馬が一直線に境内脇の道を駆け上がり競争する。

 さらに今治で食事。


しまなみ海道が見える「大波」

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人、近所、旅」カテゴリの記事

コメント

ライブをやじと奥様とは数奇な縁で繋がっていたのですね。

写真も興味深く見させていただきました。

旅も四日目とは・・いつまで続くのか。長旅できて羨ましいです。

次のレポートも楽しみにしてます。

お気を付けて・・・いい旅を。

投稿: 雪川風太郎 | 2009/08/21 14:21

もう、今日は帰ります(^_^)

投稿: × | 2009/08/21 15:57

いや、奥さんとボクとの関係は、あまり関係ないっす(^_^)。
書き方がわかりにくかったかな。ちょっと書き直そう(^_^)

投稿: × | 2009/08/21 16:01

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