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2006/10/24

つま恋

 9月23日に吉田拓郎がかぐや姫なんかと、つま恋でライブをしたのを、NHKでやっていた。今日の放送は、ライブ中心ではなく、拓郎が60歳(昭和21年生まれ。終戦直後なんだね、もっともっと後の人かと思っていたけど。。。。。)であるということ、スタッッフのカメラマンや会場の管理をしている人が同じ歳で、昔のつま恋コンサートの時にもいたというところに引っ掛けてのドキュメンタリー番組だったのだけど、このライブ、年明け早々に情報をつかんでいたので、資料を早々と取り寄せ行こうとしていたのだけど、motoGPと重なることがわかったので、断念したのだった。
 で、今日と、29日にライブの模様をNHKがやるというので(じつは当日BS-hiで生中継していたらしい)とりあえず観た。そういえば、31年前につま恋でやった時にもボクは旭川市民会館で後日行われたフィルムコンサートなるもので観たんだっけ。そのチケットを買うのに、楽器屋に並んだなぁ。
 なぜつま恋を捨てて、motoGPに行ったかというと、ボクはいろいろなライブを観に行くけど、基本的に懐メロというのは好きではない。過去の音楽を聴いて、その中にしまってあった思い出が蘇って来るとかっていうのは、けっこうめんどくさいと思う方なのだ。だから、昔の人でも、今をしっかり歌っている人でなくちゃ、なんとなくいやなのだった。
 そういう意味で、拓郎やかぐや姫よりも、今まさにこの時をリアルタイムで走っているmotoGPの方を選んだ。生で観ていない人たちだし、中高生のころには一瞬激しくハマった時もあったので、少しなびいたけど、よーく考えると、彼らのすべてを追いかけてはいなかったので、まぁボクにとってはただの懐メロだろうとたかをくくったのであった。
 で、今夜のダイジェストをとびとびで観た。
 やっぱり、すべての曲が懐かしいし、客のコメントはいちいち痛いよ(^^;。
 最後の曲は「今日までそして明日から」だったのだけど、拓郎はこの曲を24、5の時に書いたらしい。そして60になってのライブの最後の曲に持ってきているのだ。でもって、久しぶりに聞くこの曲は、今でも色あせていないし、決して若造の曲でもなく、今まさに今ここにある曲なのだったことにちょっと驚いた。
 斉藤和義の歌の歌詞で「本当のことは歌の中にある」というフレーズが好きなのだけど、ほとんどの心に残っている曲は、みんなその作者が若い時に書かれたものなんだよね。で、歌の歌詞というものは、それほど間違ったことは書かれていないような気がする(まぁ、もちろん曲のテーマによりけりで、意味をなさないものはあるけどね)。それってどういうことなんだろう。詩というのは、言葉を削りに削って書かれているからなのかな?言葉を削れば削るほど、シンプルで、真理のようなものに近づいていくということなのかな。それとも、そういう歌だったからこそ、後世まで歌い継がれていくということなのか。。。。。。。。
 なんてことを思いつつ聴いていたのだった。

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ライブ、音楽、アイドル」カテゴリの記事

コメント

昔、拓郎、好きでした。
今回の、NHKの「つま恋」、私も飛び飛びに見ていました。
「今日までそして明日から」の歌詞、
「私は今日まで生きてみました」
「生きてきました」じゃないところが凄い!
と、家族と再確認。
この人、「時代の寵児」だったなぁと思います。

投稿: 卯木里英 | 2006/10/30 17:51

> この人、「時代の寵児」だったなぁと思います。

ですね。ミュージシャンと音楽ビジネスのあり方を、見える形で変えたアーティストでありアイドルだったんでしょうねぇ。
ミュージシャンがレコード会社を作り、商業的に成功できる巨大イベントをやり、他のミュージシャンに楽曲提供だけではなくプロデュースもする(「猫」ってグループをプロデュースして「雪」をヒットさせましたよねぇ。あれは好きでした(^^;)

投稿: 罰 | 2006/10/30 18:32

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